


UNISON SQUARE GARDEN 20th Anniversary LIVE
ROCK BAND is fun
ライブレポート
7月24日 日本武道館
Writer:蜂須賀ちなみ Photographer:Viola Kam (V'z Twinkle)
Writer:蜂須賀ちなみ Photographer:Viola Kam (V'z Twinkle)
ついにこの日がやってきた。2024年7月24日。結成20周年を迎えたUNISON SQUARE GARDENが、日本武道館のステージに立った。
20周年プロジェクトの中での、いや、今後も続くUNISON SQUARE GARDENの歴史の中での一つのピークポイント。このライブを絶対に素晴らしいものにするんだという覚悟とともに、彼らは準備を重ね、当日を迎えた。そこにはオーディエンスの存在も不可欠で、振り返れば「20年目のプロローグ」と名付けられた周年プロジェクトが始まる前、2023年末から布石は打たれていたように思う。12月28日の『FM802 ROCK FESTIVAL RADIO CRAZY 2023』、12月30日の『COUNTDOWN JAPAN 23/24』に出演したUNISON SQUARE GARDENは、2020年リリースの8thアルバム『Patrick Vegee』より「101回目のプロローグ」を披露した。この曲で歌われている“4年ぐらい後”とは2024年のこと。様々な人たちが行き交うフェスという場所で、リード曲でもMVがあるわけでもない曲の重大な意味に気づいている誰かにロックオンして、〈君だけでいい 君だけでいいや こんな日を分かち合えるのは〉というフレーズが歌われた。それはバンドからリスナーに、魔法がかけられた瞬間だった。
一度しか訪れない2024年7月24日のライブを、他でもない“君”に観てほしい。そんなメンバーの想いから、当日はステージ真裏の注釈付指定席まで開放。人を最大限入れられるステージプランが組まれ、来場が叶わなかった人に向けて生配信も行われた。開演時刻を迎え、場内が暗転すると、客席から拍手や歓声が上がる。まだライブが始まる前だから、これは斎藤宏介、田淵智也、鈴木貴雄の20年の功績を讃えたい、UNISON SQUARE GARDENがこの日を迎えたことを祝いたいという観客の気持ちの表れだろう。武道館の客席は3階建て構造で、ステージがあるのは一番下の階。舞台袖でスタンバイするメンバーに、祝福のスコールが降り注ぐ。
SEのイズミカワソラ「絵の具」が流れ、青く染まったステージにメンバーが現れた。3人の登場中も続いていた拍手は、「絵の具」の歌詞が聞こえなくなるほど大きい。しかし特別なライブの時にだけ流れる〈1人きりじゃ行けないトコへ 行こう…行こう…〉〈1人きりじゃ行けないトコへ 2人で行こう…行こう…〉という歌詞の箇所では、メンバーも観客も静かに耳を傾けた。示し合わせていないのに生じた沈黙はとても温かい。
人と人が分かり合えないのと同じように、バンドとリスナーは永劫他人だ。私たちはそれぞれ別の人生を生きているからこそ、違う視点から同じ音楽に光を見出す瞬間は有り難く美しい。シーンにおいてフェスの存在感が強くなった時代でも即席の一体感を手に取らず、SNSでユーザーと手軽に繋がれる時代でもリスナーとの間に線を引いてきた彼らは、そのことにかなり自覚的だったはずだ。バンドとオーディエンスの共通言語は、UNISON SQUARE GARDENが20年間で奏でた音楽のみ。同じ気持ちになれたと嬉しくなる瞬間は、ちょっとだけでいい。信念と美学を持って活動を重ねてきたロックバンドと、その活動を追ってきたロックバンドファン。両者の幸せが実現するラグランジュポイントが、2024年7月24日の武道館公演だった。
スポットライトを浴びた斎藤がギターを爪弾き、やがて田淵、鈴木も合流する。ライブのオープニングを飾ったのは、バンドによるセッション。3人でしばらく鳴らしたあと、斎藤が〈敬具、結んでくれ 僕たちが正しくなくても〉と歌い始めた。1曲目は「Catch up, latency」。〈記念日と称してしまえ〉というフレーズがあること、ライブでは約2年披露されず温存されていたことから、もしかしたら1曲目に来るかもしれないと踏んでいた人もいたはずだ。直球ストレートのアッパーチューンには、その時々のバンドのバイオリズムが反映される。ユニゾンのギター&ボーカル/ベーシスト/ドラマーとしてあるべき姿を追求し、誰にも代われないポジションを真っ当に担おうという3人の姿勢。別々の人間から鳴らされた音が同じ熱量でぶつかることで実現する、均斉を超えた不均斉。バンドだからこそ“完成”に留まらず、どこまでも行けそうだという感覚。疾走感溢れるバンドサウンドは聴く人を、そして3人自身をワクワクさせるものだ。呼吸するように揃うダイナミクス。互いに許容しあいながらやってきた歴史を感じさせる、懐の深いサウンド。3人が精魂を注いで築いたアンサンブルが、今、武道館に響きわたった。
「Catch up, latency」を筆頭に、UNISON SQUARE GARDENには、自分は“正しくない”という立場から、世の中で幅を利かせる“当たり前”に対して首を傾げている曲が多い。差し出された手は掴まない彼らにとって、金メダルはインテリアで、教科書も焼却炉。こういった描写はおそらく、メンバーがデビュー前後のインタビューから口にしていた「普通に考えたら、自分たちの音楽はポピュラーにはならない」「社会現象を起こすようなバンドではない」という感覚から来ているのだろう。速い・複雑・多展開の3拍子が揃った曲構成、よくある言い回しからは程遠い歌詞は、確かにリスナーフレンドリーとは言い難い。
しかし多数派だけが正義ではないし、UNISON SQUARE GARDENの音楽はどうしたってカッコいい。そう信じた3人は自分たちの感性に蓋をせず、むしろ尖らせることで、スリーピースバンドとして独自の進化を遂げた。奏でた音楽そのものや、音楽の有する文脈・物語を台無しにしないための繊細な注意が、UNISON SQUARE GARDENを替えの利かない存在にさせた。バンドは好きで始めるものだけど、バンド活動は楽しいだけでは続かないもの。20年のうちには難しさや歯がゆさを感じる瞬間もあっただろうが、3人で音を合わせ、やっぱり最高だと思える瞬間を原動力とし、“ROCK BAND is fun”を体現し続けた。リスナーはその姿に“LIFE is beautiful”を見出した。そして今、正しくなくても構わない、むしろ正しくないからこそUNISON SQUARE GARDENを好きになったのだという人たちが、バンドが今日まで続いたことを喜んでいる。UNISON SQUARE GARDENが生まれるまで存在しなかった音楽、言葉が感覚的に理解され、集まった人たちの心と響き合っている。この美しい光景の前では、世界の“正しさ”なんて全くの無意味だろう。
うねるベース、タム&バスドラムの響きが曲間を繋ぐなか、斎藤が「UNISON SQUARE GARDENへ、ようこそ!」と挨拶した。2曲目は「サンポサキマイライフ」。そしてBPMを上げながら「Dizzy Trickster」に突入だ。情熱的かつ芸術的な鈴木のフレージング、獣のように鳴く斎藤のギターに客席が沸いた直後、田淵の弾くメロディアスなベースラインが、観客のテンションをもっと押し上げる。ユニゾンが武道館での20周年ライブにこだわっていたのは、the pillowsをはじめとした先達からの影響が大きい。伝説の武道館ライブを観客として目撃し、音楽から受け取ったものを胸にここまでやってきた彼らが、今はステージの上で、ロックバンドのDNAがテーマの曲を鳴らしている。なんてロマンがあるだろう。ロックとは憧れと継承の文化。大喜びで飛び跳ねるオーディエンスの中には、ユニゾンの背中を見て育ったバンドマンもいたかもしれない。
間1拍(!)を挟み、「fake town baby」。マイナーキー楽曲の登場に、会場の空気がガラリと塗り替えられた。武道館には魔物が棲むとよく言うし、全方位観客に囲まれながらのライブは普段と勝手が違っただろうが、三人四音の諸行無双カルテットを粛々と磨いてきた彼らだ、悪鬼羅刹が付け入る隙もない。嵐のように激しくもメリハリがあり、時に禅の美的な静寂を感じさせるアンサンブルは重ねた歳月の賜物。UNISON SQUARE GARDENという生き方が、音にも詞にも漲っている。嵐の切れ間で斎藤が歌う〈神様はいない 要らない いても 要らない〉も、最後のキメ台詞〈さあ勝算万全、お待たせ〉も超痺れる。ラストの掻き回しで叩きまくっていた鈴木が、椅子から立ち上がり、楽曲を締め括ると同時に暗転。あまりにも鮮やかな締めに、客席から大きな歓声が上がった。
ここで最初のMC。斎藤が「本日2024年7月24日、UNISON SQUARE GARDENの20周年の記念日です!」と伝えると、観客が3人に拍手を送った。近年のユニゾンのライブでは、バンドのストイックなライブスタイルに順応し、観客も曲間やMC中にあまり声を上げないが、今日ばかりは歓声と拍手が止まない。3人もまた、少しの間、観客の気持ちを受け止めていた。そして斎藤から飛び出した5年ぶり3度目の発言=「今日は長いよ!」に、再び歓声が上がる。今夜のライブも最高に違いない。観客が期待に胸を膨らませる中、鈴木の鳴らすリズムをきっかけに、次の曲「恋する惑星」がスタートした。溢れんばかりの幸福感。君と僕の関係を星や宇宙に喩えたポップなラブソングを、今日ばかりはバンドとリスナーの歌として解釈したくなった。
歪むベースが「Hatch I need」を導き、クレッシェンドという名のデッドヒートを経て「マーメイドスキャンダラス」が鳴らされた。この2曲はアルバム『Patrick Vegee』と同じ曲順。好きなアルバムの曲を聴くと、次の曲が脳内で自動再生されるという音楽ファンは少なくないと思うが、“ライブにはライブの曲順マジックを”と音源とは別の曲に繋げるのがユニゾンライブの定石であり、このパターンはかえって珍しい。要するに“裏の裏をかいて表”みたいなことが起きていたわけだが、ハイコンテクストな展開でも盛り上がる客席を見て、濃いファンが集まっていることを改めて実感させられた。
そのままペースアップして、「Invisible Sensation」。バンドのサウンドは全てをなぎ倒していくようなスピード感で、楽しげにノッている人だけでなく、迫力に立ち尽くす人も多かった。神がもたらす福音も、あの鐘を鳴らすあなたの到着も待たず、祝祭の鐘は自分で打ち鳴らすのがUNISON SQUARE GARDEN。〈このステージに立てるのは選ばれし 相応だ!派手なやつをくれ〉と歌いながら、派手なサウンドを自分の手で鳴らしているのが最高だ。さらに、鈴木の気合いの入ったカウント&スネア連打から「オリオンをなぞる」へ。ミラーボールの光が星になり、会場全体が宇宙空間に変わるなか、サウンドが爽快に響いた。美しい光景に、まばたきの数だけ写真になれと願わずにはいられない。それにしてもこのブロック、スタートの「恋する惑星」で星と星座を想起させ、その後3曲で(迷いや怖れと隣り合わせの)努力と才能=人生の話をして、バンドの第一の代表曲「オリオンをなぞる」に至るとは……なんて見事なセットリストだろう。〈昨日までをちゃんと愛して 見たことない景色を見るよ〉という歌詞の通りの光景。彼らが今日まで重ねてきた暫定的なロマンは、ここ武道館で結実。ちょっとやそっとじゃ揺るがない最高のロマンとなった。
10曲目に披露されたバラード「もう君に会えない」は、3人の気持ちが揃っていることが伝わってくる誠実な演奏。喪失感を歌った曲だけに、胸に迫るものがあった。繰り返しになるが、バンド活動は楽しいだけでは続かない。この日の彼らは、悲しみも喜びもバンド人生の一部として音楽で表現していた。バラードゾーンは、斎藤の歌い出しのアカペラが素晴らしかった「スカースデイル」までで、「オトノバ中間試験」によって場の空気は一変。そこから「世界はファンシー」へと進み、隆盛を極めるユニゾン王国だ。独自性を突き詰めた果てにもはやプログレ。斎藤、田淵、鈴木の3人でなければこうはならないだろうというアンサンブルに、笑いながらひれ伏すしかない。
なお、「世界はファンシー」も『Patrick Vegee』収録曲だ。先ほどの「Hatch I need」~「マーメイドスキャンダラス」を受けて「次は何の曲だ?」「音源通りか?それとも?」と思っていたところ、ステージから届けられたのはみずみずしいドラムフィル。虹色の照明を背負って、「フルカラープログラム」が鳴らされた。心のどこかで待っていた曲が最高のタイミングで鳴らされるという、ファンにとって至高の瞬間。日本を代表するギタボである斎藤(後述)が両手を広げ、〈完全無欠のロックンロールを〉と歌うと、日の丸の下、J-POPのシンギュラーポイントというべきスリーピースサウンドが放たれた。
ここで一旦暗転。客席からの「おめでとう!」に「はい、ありがとうございます」と答えた斎藤は、20周年を迎えた感想を「我ながら思うんですけど、こんなにもバラバラで、結成した瞬間から音楽性の違いを抱え、さらには人間性の違いも抱えた3人が20年続くとは思ってなかったです」と語った。そして次の曲への橋渡しとなるMCへ。
「いつかの鈴木少年は黒夢を崇拝し、触れるものみな傷つけ、自らも傷つけるような少年でした。やがてこんなにもたくさんの人を心からの笑顔に変えることのできる、素敵な中年になりました。いつかの田淵少年はTHE BLUE HEARTSを崇拝し、友達が家に来ているにも関わらず大音量で曲をかけて飛び跳ね、家に来ていた斎藤少年をドン引きさせました。のちに自分だけではなく、こんなにもたくさんの人の心と体を踊らせる曲を作る、素晴らしい中年になりました。いつかの斎藤少年はパチスロを崇拝し、大学の単位を落とし、彼女にはボロ雑巾のように捨てられ……。心を入れ替えてパチンコとスロットの二刀流からギターボーカルの二刀流になり、日本を代表するギタボ中年になりました」
斎藤らしくユーモアを交えたメンバー紹介のあと、「いつかの少年が大事に大事にUNISON SQUARE GARDENを育ててくれたおかげで、僕たちは晴れて今日を迎えます」と、インディーズ時代からの楽曲「いつかの少年」が披露された。この曲が生まれた頃、3人はまだ大学生。おそらくは先の見えない不安の中歌っていたであろう〈少なくともエピローグましてやクライマックスでは/ないことならわかってるけど〉というフレーズに続くようにして、この曲のあと、「101回目のプロローグ」が演奏された。「いつかの少年」には〈間違ってないはずなのに〉というフレーズがあるのに対し、「101回目のプロローグ」には〈だよね 僕が間違っていた〉というフレーズがある。まるで過去からの手紙の返事のような歌詞から伝わってくるのは、彼らの根に染みついているものは結局変わっていないのだという事実。そして、変えるつもりもないのだという矜持だ。Aメロ、Bメロ、サビ、さらにDメロ、Eメロ、Fメロと展開する組曲的構造の「101回目のプロローグ」は、安易な論に束ねられるのを拒否しながら演舞する、ユニゾン史上最も純粋な曲。別に誰かを惑わせたくて複雑になったわけではない。この音楽でしか表現できない心の形があった。それだけだった。そんな音楽が自分の心にもフィットしたという人たちが今、3人を囲んでいる。“恋心が持つのは3年”という定説を超え、4年後の世界線で出会ったオーディエンスに向けて、Dメロの歌詞は〈本当の気持ちを話すのは今日ぐらいしかありえないだろう〉と変えられた。ラスサビ冒頭では斎藤がアカペラで、“君”の心へ直接歌を届ける。さらに、〈世界は七色になる!〉という歌詞に合わせて、照明が七色になる。UNISON SQUARE GARDENの音楽によって、観客の目に映る世界が彩られた。
「101回目のプロローグ」を終えると斎藤が「今日は特別な日なので」と、普段はMCをしない鈴木と田淵に話を振った。鈴木のMCは、「今日のMCは長いよ!(笑)」という一言からスタート。「熱と循環の話をさせてください」と切り出した鈴木は、普段何時間も練習していると、ふと「何のためにやっているんだろう?」と思う時があるが、それでも熱を持ってやっているとみなさんが喜んでくれる、それが自分にとって大事な生きる意味になっている、と語る。加えて「5年前は“ドラムは器でしかない”とネガティブに捉えられかねないことを言っちゃったけど、5年のうちに成長しまして。このバンドがカッコいいのは俺のおかげだなと。そう自然と、本気で思えるようになりました」と心境の変化を打ち明けたあと、「ステージに立ち続ける限り、これからも俺は超優秀な焚火として燃え続けることを約束します」と宣言し、MCを締め括った。
そんな鈴木のMCを「熱い話だったな」と褒めていた田淵は、メンバーを「この声帯をもらっても甘んじることなく、歌を磨き続け、おまけにギターまで弾く斎藤宏介」「自分自身を貫く熱と哲学を持って常に限界に挑戦し、いよいよ唯一無二になったスーパードラマー、鈴木貴雄」と評しつつ、自分のことは「他、約1名」と表現。「これじゃなきゃできないロックバンドがあったってことですよ。つまり俺たち、才能があったということですね。今日は大いに祝ってください! よろしくお願いします!」と観客に伝えた。
そして「俺たちがUNISON SQUARE GARDENです。よろしくお願いします!」という斎藤の挨拶、〈かくしてまたストーリーは始まる〉という歌い出しから、次の曲「kaleido proud fiesta」がスタートした。全ての歌詞がバンドの生き様と重なるようで、明るい曲なのにどうしようもなく泣ける。鈴木がシンバルを刻み続け、そのまま始まった「スロウカーヴは打てない (that made me crazy)」はまたしても『Patrick Vegee』収録曲だ。音源ではラストの〈つまりレイテンシーを埋めています〉という歌詞を受けて次の曲「Catch up, latency」が始まるが、この日はその部分を〈つまりジョークってことにしときます〉と変更。流れるように「Phantom Joke」に突入した。アルバムに仕込んだ曲順トリックと、この日初出しの歌詞変えとの合わせ技。驚き喜び感激する我々の心を、激流のようなサウンドが前へ運ぶ。
「Phantom Joke」の最後の音と同時に、鈴木にスポットライトが当たり、斎藤が「オンドラムス、タカオ・スズキ!」と告げた。ここで鈴木のドラムソロ。今この瞬間に鳴らす音に全身全霊を尽くしつつ、自分のドラムで観客を楽しませたいと思い、見せ方の美しさにまで神経を使ったプレイは、誰がどう見てもこのバンドのカッコよさの一端を担っている。鈴木は最終的に両手で直接楽器を叩いたりしつつ、叫びとともに鳴らしきった。そんな鈴木のソロに斎藤と田淵も触発されたのか、2人が合流したあとのセッションも熱量が高い。“熱と循環”はここにもある、むしろそれこそがUNISON SQUARE GARDENをUNISON SQUARE GARDENたらしめてきたのだと改めて感じたシーンだった。
セッションから「天国と地獄」へ。フィルを挟み、「君の瞳に恋してない」へ。さらに曲終わりと同時にSEが流れてきて「カオスが極まる」へ。息つく間もない展開だ。しかし、まだまだ終わらない。鈴木の強烈なフィルが重厚な余韻を突き破り、「シュガーソングとビターステップ」の登場だ。これもまた人生ソングであり、楽しい曲なのに泣ける。シングル表題曲/アルバムリード曲を連投する怒涛のブロックを駆け抜けた3人は、演奏終了後、清々しい笑顔を浮かべていた。
長い長い拍手に対して、「今ので終わりでーす。全部やったぞ、有名な曲!」と田淵。この場にいる人たちは別に“有名な曲”を求めているわけではないと分かっていながら、あえてそう言っているのが微笑ましい。田淵は2015年の武道館でMCを用意していたが「10年とか11年で言っていい台詞ではなかった」とし、言葉を心にしまったままステージを降りた。しかし今日は20年に一度の日。純粋さは隠すだけ損だし、だからこそ「101回目のプロローグ」のあの歌詞変えがあったのだろう。仕切り直して、以下のように語り始めた。
「今日はよく来た。遠くで見てるやつも、よく来てくれた。僕たちには才能があった。けど、才能で、信念で、渾身の1曲で、世界は別に変わらなかった。20年間信じる音楽を続けられたのは才能があったからだけど、それでも世界が変わらないのはつまらなかった。楽しいことばっかじゃないからさ、ロックバンドを続けるのってやっぱり大変なのよ。時にそれは、ロックバンドを諦めてもいい理由になった。時に前を向けなくて、誰にも気づかれないように後ろを向いた。そしたら君がいた。君がずっと後ろから見てくれていた。ついてきてくれと思っていなかったけど、ずっと見ていてくれることがこんなに嬉しいなんて思わなかった。君の好きなロックバンドは、君がずっと好きでいてくれたからここまで来られた。ロックバンドを諦めなくてよかった! 君のおかげだ。ありがとう!」
田淵が目を潤ませながらそう伝えると、観客は同じ分だけ心を込めて、拍手や歓声を届けた。その後披露されたのは、2018年リリースの14thシングル表題曲「春が来てぼくら」だ。十数回転調する規格外の構成ながら、最後まで破綻することなく、あくまで流麗に展開する画期的な音楽。こんな曲を書けるのは田淵智也だけ、そしてこれを形にできるのは斎藤宏介と鈴木貴雄だけ、というポップソングであり、バンドにとって“渾身の1曲”だったことは想像に難くないだろう。彼らが言うに、ロックバンドは、正しくない。正しくないという自己認識はともすれば生きづらさと結びついてしまうもので、田淵の言うように、バンドを諦めていい理由に突きあたる夜もあったはずだ。それでも彼らは腐らずに、自分たちの信じる音楽を鳴らし続けた。このバンドの明るく楽しくスリリングなアンサンブルは、私たちリスナーの人生に彩りをもたらした。そして今、正しくないのがいいんだという人たちが、この世界に一定数、例えば武道館に収まりきらないくらいには存在していたことが、メンバーの支えになっていたのだと明かされた。その上で奏でられる「春が来てぼくら」、しかも斎藤の弾き語りから始まる特別アレンジである。めくるめく転調は、山あり谷ありの人生の表象。険しい道のりにひるむどころか、どこまでも軽やかな3人の演奏に、風に踊る花びらのイメージが浮かぶ。晴れ晴れとしたバンドサウンドで以って、彼らは20年の活動に自ら花マルをつけた。とても大きな意味のある場面だった。
「春が来てぼくら」演奏後、3人はしばらく何も言わずに客席を眺め、喜びを噛み締めている様子だった。やがて鈴木が右手を上げたのを合図に演奏再開。2015年7月24日を思い出させるバンドのセッション、そして斎藤のタイトルコールから始まった「シャンデリア・ワルツ」は20年で一番の輝きだ。この日最後に鳴らされたのは、メジャーデビュー曲の「センチメンタルピリオド」。バンドのサウンドが勢いよく炸裂するなか、客席の照明もついて大団円だ。センターに出てきて、気持ちよさそうにソロを弾く斎藤。一音入魂、その場で立ち上がり締めの音を鳴らす鈴木。5年ぶりn回目のハンドスプリングをキメる田淵。彼らを包む拍手と歓声。ヘッドフォンで耳を塞ぎ「世界の音も聞こえません」と嘯いていた少年は、あの頃の自分を裏切らないまま、こんなにもたくさんの人に愛されるロックバンドになった。
アンコールはなし。最後の音を鳴らし終えると、田淵はご機嫌な足取りで、鈴木はジャケット背面の20thロゴをアピールしてからステージを去った。一人残った斎藤は、「3人だけでは続けてこられませんでした。ライブやCDを待ってくれてるやつ、解散したら悲しむやつ、そういう一つひとつによって続いてきたUNISON SQUARE GARDENが、今これだけ愛されるロックバンドになってます。こう見えてめちゃくちゃ励まされながら、支えられながら進んできました」と、さらに「だから、3人の記念日ではあるんだけど、僕は、UNISON SQUARE GARDENを好きで好きでたまらないやつに喜んでほしい」と会場や配信で観ていたファンに伝える。そして最後には「本日はUNISON SQUARE GARDEN 20周年記念日、おめでとうございます! 楽しかったです」と叫び、観客と拍手を送り合った。こうして武道館DAY1は終演。間違いなく伝説のライブだったという余韻とともに、DAY2、DAY3という未知の領域へ突入する。
一度しか訪れない2024年7月24日のライブを、他でもない“君”に観てほしい。そんなメンバーの想いから、当日はステージ真裏の注釈付指定席まで開放。人を最大限入れられるステージプランが組まれ、来場が叶わなかった人に向けて生配信も行われた。開演時刻を迎え、場内が暗転すると、客席から拍手や歓声が上がる。まだライブが始まる前だから、これは斎藤宏介、田淵智也、鈴木貴雄の20年の功績を讃えたい、UNISON SQUARE GARDENがこの日を迎えたことを祝いたいという観客の気持ちの表れだろう。武道館の客席は3階建て構造で、ステージがあるのは一番下の階。舞台袖でスタンバイするメンバーに、祝福のスコールが降り注ぐ。
SEのイズミカワソラ「絵の具」が流れ、青く染まったステージにメンバーが現れた。3人の登場中も続いていた拍手は、「絵の具」の歌詞が聞こえなくなるほど大きい。しかし特別なライブの時にだけ流れる〈1人きりじゃ行けないトコへ 行こう…行こう…〉〈1人きりじゃ行けないトコへ 2人で行こう…行こう…〉という歌詞の箇所では、メンバーも観客も静かに耳を傾けた。示し合わせていないのに生じた沈黙はとても温かい。
人と人が分かり合えないのと同じように、バンドとリスナーは永劫他人だ。私たちはそれぞれ別の人生を生きているからこそ、違う視点から同じ音楽に光を見出す瞬間は有り難く美しい。シーンにおいてフェスの存在感が強くなった時代でも即席の一体感を手に取らず、SNSでユーザーと手軽に繋がれる時代でもリスナーとの間に線を引いてきた彼らは、そのことにかなり自覚的だったはずだ。バンドとオーディエンスの共通言語は、UNISON SQUARE GARDENが20年間で奏でた音楽のみ。同じ気持ちになれたと嬉しくなる瞬間は、ちょっとだけでいい。信念と美学を持って活動を重ねてきたロックバンドと、その活動を追ってきたロックバンドファン。両者の幸せが実現するラグランジュポイントが、2024年7月24日の武道館公演だった。
スポットライトを浴びた斎藤がギターを爪弾き、やがて田淵、鈴木も合流する。ライブのオープニングを飾ったのは、バンドによるセッション。3人でしばらく鳴らしたあと、斎藤が〈敬具、結んでくれ 僕たちが正しくなくても〉と歌い始めた。1曲目は「Catch up, latency」。〈記念日と称してしまえ〉というフレーズがあること、ライブでは約2年披露されず温存されていたことから、もしかしたら1曲目に来るかもしれないと踏んでいた人もいたはずだ。直球ストレートのアッパーチューンには、その時々のバンドのバイオリズムが反映される。ユニゾンのギター&ボーカル/ベーシスト/ドラマーとしてあるべき姿を追求し、誰にも代われないポジションを真っ当に担おうという3人の姿勢。別々の人間から鳴らされた音が同じ熱量でぶつかることで実現する、均斉を超えた不均斉。バンドだからこそ“完成”に留まらず、どこまでも行けそうだという感覚。疾走感溢れるバンドサウンドは聴く人を、そして3人自身をワクワクさせるものだ。呼吸するように揃うダイナミクス。互いに許容しあいながらやってきた歴史を感じさせる、懐の深いサウンド。3人が精魂を注いで築いたアンサンブルが、今、武道館に響きわたった。
「Catch up, latency」を筆頭に、UNISON SQUARE GARDENには、自分は“正しくない”という立場から、世の中で幅を利かせる“当たり前”に対して首を傾げている曲が多い。差し出された手は掴まない彼らにとって、金メダルはインテリアで、教科書も焼却炉。こういった描写はおそらく、メンバーがデビュー前後のインタビューから口にしていた「普通に考えたら、自分たちの音楽はポピュラーにはならない」「社会現象を起こすようなバンドではない」という感覚から来ているのだろう。速い・複雑・多展開の3拍子が揃った曲構成、よくある言い回しからは程遠い歌詞は、確かにリスナーフレンドリーとは言い難い。
しかし多数派だけが正義ではないし、UNISON SQUARE GARDENの音楽はどうしたってカッコいい。そう信じた3人は自分たちの感性に蓋をせず、むしろ尖らせることで、スリーピースバンドとして独自の進化を遂げた。奏でた音楽そのものや、音楽の有する文脈・物語を台無しにしないための繊細な注意が、UNISON SQUARE GARDENを替えの利かない存在にさせた。バンドは好きで始めるものだけど、バンド活動は楽しいだけでは続かないもの。20年のうちには難しさや歯がゆさを感じる瞬間もあっただろうが、3人で音を合わせ、やっぱり最高だと思える瞬間を原動力とし、“ROCK BAND is fun”を体現し続けた。リスナーはその姿に“LIFE is beautiful”を見出した。そして今、正しくなくても構わない、むしろ正しくないからこそUNISON SQUARE GARDENを好きになったのだという人たちが、バンドが今日まで続いたことを喜んでいる。UNISON SQUARE GARDENが生まれるまで存在しなかった音楽、言葉が感覚的に理解され、集まった人たちの心と響き合っている。この美しい光景の前では、世界の“正しさ”なんて全くの無意味だろう。
うねるベース、タム&バスドラムの響きが曲間を繋ぐなか、斎藤が「UNISON SQUARE GARDENへ、ようこそ!」と挨拶した。2曲目は「サンポサキマイライフ」。そしてBPMを上げながら「Dizzy Trickster」に突入だ。情熱的かつ芸術的な鈴木のフレージング、獣のように鳴く斎藤のギターに客席が沸いた直後、田淵の弾くメロディアスなベースラインが、観客のテンションをもっと押し上げる。ユニゾンが武道館での20周年ライブにこだわっていたのは、the pillowsをはじめとした先達からの影響が大きい。伝説の武道館ライブを観客として目撃し、音楽から受け取ったものを胸にここまでやってきた彼らが、今はステージの上で、ロックバンドのDNAがテーマの曲を鳴らしている。なんてロマンがあるだろう。ロックとは憧れと継承の文化。大喜びで飛び跳ねるオーディエンスの中には、ユニゾンの背中を見て育ったバンドマンもいたかもしれない。
間1拍(!)を挟み、「fake town baby」。マイナーキー楽曲の登場に、会場の空気がガラリと塗り替えられた。武道館には魔物が棲むとよく言うし、全方位観客に囲まれながらのライブは普段と勝手が違っただろうが、三人四音の諸行無双カルテットを粛々と磨いてきた彼らだ、悪鬼羅刹が付け入る隙もない。嵐のように激しくもメリハリがあり、時に禅の美的な静寂を感じさせるアンサンブルは重ねた歳月の賜物。UNISON SQUARE GARDENという生き方が、音にも詞にも漲っている。嵐の切れ間で斎藤が歌う〈神様はいない 要らない いても 要らない〉も、最後のキメ台詞〈さあ勝算万全、お待たせ〉も超痺れる。ラストの掻き回しで叩きまくっていた鈴木が、椅子から立ち上がり、楽曲を締め括ると同時に暗転。あまりにも鮮やかな締めに、客席から大きな歓声が上がった。
ここで最初のMC。斎藤が「本日2024年7月24日、UNISON SQUARE GARDENの20周年の記念日です!」と伝えると、観客が3人に拍手を送った。近年のユニゾンのライブでは、バンドのストイックなライブスタイルに順応し、観客も曲間やMC中にあまり声を上げないが、今日ばかりは歓声と拍手が止まない。3人もまた、少しの間、観客の気持ちを受け止めていた。そして斎藤から飛び出した5年ぶり3度目の発言=「今日は長いよ!」に、再び歓声が上がる。今夜のライブも最高に違いない。観客が期待に胸を膨らませる中、鈴木の鳴らすリズムをきっかけに、次の曲「恋する惑星」がスタートした。溢れんばかりの幸福感。君と僕の関係を星や宇宙に喩えたポップなラブソングを、今日ばかりはバンドとリスナーの歌として解釈したくなった。
歪むベースが「Hatch I need」を導き、クレッシェンドという名のデッドヒートを経て「マーメイドスキャンダラス」が鳴らされた。この2曲はアルバム『Patrick Vegee』と同じ曲順。好きなアルバムの曲を聴くと、次の曲が脳内で自動再生されるという音楽ファンは少なくないと思うが、“ライブにはライブの曲順マジックを”と音源とは別の曲に繋げるのがユニゾンライブの定石であり、このパターンはかえって珍しい。要するに“裏の裏をかいて表”みたいなことが起きていたわけだが、ハイコンテクストな展開でも盛り上がる客席を見て、濃いファンが集まっていることを改めて実感させられた。
そのままペースアップして、「Invisible Sensation」。バンドのサウンドは全てをなぎ倒していくようなスピード感で、楽しげにノッている人だけでなく、迫力に立ち尽くす人も多かった。神がもたらす福音も、あの鐘を鳴らすあなたの到着も待たず、祝祭の鐘は自分で打ち鳴らすのがUNISON SQUARE GARDEN。〈このステージに立てるのは選ばれし 相応だ!派手なやつをくれ〉と歌いながら、派手なサウンドを自分の手で鳴らしているのが最高だ。さらに、鈴木の気合いの入ったカウント&スネア連打から「オリオンをなぞる」へ。ミラーボールの光が星になり、会場全体が宇宙空間に変わるなか、サウンドが爽快に響いた。美しい光景に、まばたきの数だけ写真になれと願わずにはいられない。それにしてもこのブロック、スタートの「恋する惑星」で星と星座を想起させ、その後3曲で(迷いや怖れと隣り合わせの)努力と才能=人生の話をして、バンドの第一の代表曲「オリオンをなぞる」に至るとは……なんて見事なセットリストだろう。〈昨日までをちゃんと愛して 見たことない景色を見るよ〉という歌詞の通りの光景。彼らが今日まで重ねてきた暫定的なロマンは、ここ武道館で結実。ちょっとやそっとじゃ揺るがない最高のロマンとなった。
10曲目に披露されたバラード「もう君に会えない」は、3人の気持ちが揃っていることが伝わってくる誠実な演奏。喪失感を歌った曲だけに、胸に迫るものがあった。繰り返しになるが、バンド活動は楽しいだけでは続かない。この日の彼らは、悲しみも喜びもバンド人生の一部として音楽で表現していた。バラードゾーンは、斎藤の歌い出しのアカペラが素晴らしかった「スカースデイル」までで、「オトノバ中間試験」によって場の空気は一変。そこから「世界はファンシー」へと進み、隆盛を極めるユニゾン王国だ。独自性を突き詰めた果てにもはやプログレ。斎藤、田淵、鈴木の3人でなければこうはならないだろうというアンサンブルに、笑いながらひれ伏すしかない。
なお、「世界はファンシー」も『Patrick Vegee』収録曲だ。先ほどの「Hatch I need」~「マーメイドスキャンダラス」を受けて「次は何の曲だ?」「音源通りか?それとも?」と思っていたところ、ステージから届けられたのはみずみずしいドラムフィル。虹色の照明を背負って、「フルカラープログラム」が鳴らされた。心のどこかで待っていた曲が最高のタイミングで鳴らされるという、ファンにとって至高の瞬間。日本を代表するギタボである斎藤(後述)が両手を広げ、〈完全無欠のロックンロールを〉と歌うと、日の丸の下、J-POPのシンギュラーポイントというべきスリーピースサウンドが放たれた。
ここで一旦暗転。客席からの「おめでとう!」に「はい、ありがとうございます」と答えた斎藤は、20周年を迎えた感想を「我ながら思うんですけど、こんなにもバラバラで、結成した瞬間から音楽性の違いを抱え、さらには人間性の違いも抱えた3人が20年続くとは思ってなかったです」と語った。そして次の曲への橋渡しとなるMCへ。
「いつかの鈴木少年は黒夢を崇拝し、触れるものみな傷つけ、自らも傷つけるような少年でした。やがてこんなにもたくさんの人を心からの笑顔に変えることのできる、素敵な中年になりました。いつかの田淵少年はTHE BLUE HEARTSを崇拝し、友達が家に来ているにも関わらず大音量で曲をかけて飛び跳ね、家に来ていた斎藤少年をドン引きさせました。のちに自分だけではなく、こんなにもたくさんの人の心と体を踊らせる曲を作る、素晴らしい中年になりました。いつかの斎藤少年はパチスロを崇拝し、大学の単位を落とし、彼女にはボロ雑巾のように捨てられ……。心を入れ替えてパチンコとスロットの二刀流からギターボーカルの二刀流になり、日本を代表するギタボ中年になりました」
斎藤らしくユーモアを交えたメンバー紹介のあと、「いつかの少年が大事に大事にUNISON SQUARE GARDENを育ててくれたおかげで、僕たちは晴れて今日を迎えます」と、インディーズ時代からの楽曲「いつかの少年」が披露された。この曲が生まれた頃、3人はまだ大学生。おそらくは先の見えない不安の中歌っていたであろう〈少なくともエピローグましてやクライマックスでは/ないことならわかってるけど〉というフレーズに続くようにして、この曲のあと、「101回目のプロローグ」が演奏された。「いつかの少年」には〈間違ってないはずなのに〉というフレーズがあるのに対し、「101回目のプロローグ」には〈だよね 僕が間違っていた〉というフレーズがある。まるで過去からの手紙の返事のような歌詞から伝わってくるのは、彼らの根に染みついているものは結局変わっていないのだという事実。そして、変えるつもりもないのだという矜持だ。Aメロ、Bメロ、サビ、さらにDメロ、Eメロ、Fメロと展開する組曲的構造の「101回目のプロローグ」は、安易な論に束ねられるのを拒否しながら演舞する、ユニゾン史上最も純粋な曲。別に誰かを惑わせたくて複雑になったわけではない。この音楽でしか表現できない心の形があった。それだけだった。そんな音楽が自分の心にもフィットしたという人たちが今、3人を囲んでいる。“恋心が持つのは3年”という定説を超え、4年後の世界線で出会ったオーディエンスに向けて、Dメロの歌詞は〈本当の気持ちを話すのは今日ぐらいしかありえないだろう〉と変えられた。ラスサビ冒頭では斎藤がアカペラで、“君”の心へ直接歌を届ける。さらに、〈世界は七色になる!〉という歌詞に合わせて、照明が七色になる。UNISON SQUARE GARDENの音楽によって、観客の目に映る世界が彩られた。
「101回目のプロローグ」を終えると斎藤が「今日は特別な日なので」と、普段はMCをしない鈴木と田淵に話を振った。鈴木のMCは、「今日のMCは長いよ!(笑)」という一言からスタート。「熱と循環の話をさせてください」と切り出した鈴木は、普段何時間も練習していると、ふと「何のためにやっているんだろう?」と思う時があるが、それでも熱を持ってやっているとみなさんが喜んでくれる、それが自分にとって大事な生きる意味になっている、と語る。加えて「5年前は“ドラムは器でしかない”とネガティブに捉えられかねないことを言っちゃったけど、5年のうちに成長しまして。このバンドがカッコいいのは俺のおかげだなと。そう自然と、本気で思えるようになりました」と心境の変化を打ち明けたあと、「ステージに立ち続ける限り、これからも俺は超優秀な焚火として燃え続けることを約束します」と宣言し、MCを締め括った。
そんな鈴木のMCを「熱い話だったな」と褒めていた田淵は、メンバーを「この声帯をもらっても甘んじることなく、歌を磨き続け、おまけにギターまで弾く斎藤宏介」「自分自身を貫く熱と哲学を持って常に限界に挑戦し、いよいよ唯一無二になったスーパードラマー、鈴木貴雄」と評しつつ、自分のことは「他、約1名」と表現。「これじゃなきゃできないロックバンドがあったってことですよ。つまり俺たち、才能があったということですね。今日は大いに祝ってください! よろしくお願いします!」と観客に伝えた。
そして「俺たちがUNISON SQUARE GARDENです。よろしくお願いします!」という斎藤の挨拶、〈かくしてまたストーリーは始まる〉という歌い出しから、次の曲「kaleido proud fiesta」がスタートした。全ての歌詞がバンドの生き様と重なるようで、明るい曲なのにどうしようもなく泣ける。鈴木がシンバルを刻み続け、そのまま始まった「スロウカーヴは打てない (that made me crazy)」はまたしても『Patrick Vegee』収録曲だ。音源ではラストの〈つまりレイテンシーを埋めています〉という歌詞を受けて次の曲「Catch up, latency」が始まるが、この日はその部分を〈つまりジョークってことにしときます〉と変更。流れるように「Phantom Joke」に突入した。アルバムに仕込んだ曲順トリックと、この日初出しの歌詞変えとの合わせ技。驚き喜び感激する我々の心を、激流のようなサウンドが前へ運ぶ。
「Phantom Joke」の最後の音と同時に、鈴木にスポットライトが当たり、斎藤が「オンドラムス、タカオ・スズキ!」と告げた。ここで鈴木のドラムソロ。今この瞬間に鳴らす音に全身全霊を尽くしつつ、自分のドラムで観客を楽しませたいと思い、見せ方の美しさにまで神経を使ったプレイは、誰がどう見てもこのバンドのカッコよさの一端を担っている。鈴木は最終的に両手で直接楽器を叩いたりしつつ、叫びとともに鳴らしきった。そんな鈴木のソロに斎藤と田淵も触発されたのか、2人が合流したあとのセッションも熱量が高い。“熱と循環”はここにもある、むしろそれこそがUNISON SQUARE GARDENをUNISON SQUARE GARDENたらしめてきたのだと改めて感じたシーンだった。
セッションから「天国と地獄」へ。フィルを挟み、「君の瞳に恋してない」へ。さらに曲終わりと同時にSEが流れてきて「カオスが極まる」へ。息つく間もない展開だ。しかし、まだまだ終わらない。鈴木の強烈なフィルが重厚な余韻を突き破り、「シュガーソングとビターステップ」の登場だ。これもまた人生ソングであり、楽しい曲なのに泣ける。シングル表題曲/アルバムリード曲を連投する怒涛のブロックを駆け抜けた3人は、演奏終了後、清々しい笑顔を浮かべていた。
長い長い拍手に対して、「今ので終わりでーす。全部やったぞ、有名な曲!」と田淵。この場にいる人たちは別に“有名な曲”を求めているわけではないと分かっていながら、あえてそう言っているのが微笑ましい。田淵は2015年の武道館でMCを用意していたが「10年とか11年で言っていい台詞ではなかった」とし、言葉を心にしまったままステージを降りた。しかし今日は20年に一度の日。純粋さは隠すだけ損だし、だからこそ「101回目のプロローグ」のあの歌詞変えがあったのだろう。仕切り直して、以下のように語り始めた。
「今日はよく来た。遠くで見てるやつも、よく来てくれた。僕たちには才能があった。けど、才能で、信念で、渾身の1曲で、世界は別に変わらなかった。20年間信じる音楽を続けられたのは才能があったからだけど、それでも世界が変わらないのはつまらなかった。楽しいことばっかじゃないからさ、ロックバンドを続けるのってやっぱり大変なのよ。時にそれは、ロックバンドを諦めてもいい理由になった。時に前を向けなくて、誰にも気づかれないように後ろを向いた。そしたら君がいた。君がずっと後ろから見てくれていた。ついてきてくれと思っていなかったけど、ずっと見ていてくれることがこんなに嬉しいなんて思わなかった。君の好きなロックバンドは、君がずっと好きでいてくれたからここまで来られた。ロックバンドを諦めなくてよかった! 君のおかげだ。ありがとう!」
田淵が目を潤ませながらそう伝えると、観客は同じ分だけ心を込めて、拍手や歓声を届けた。その後披露されたのは、2018年リリースの14thシングル表題曲「春が来てぼくら」だ。十数回転調する規格外の構成ながら、最後まで破綻することなく、あくまで流麗に展開する画期的な音楽。こんな曲を書けるのは田淵智也だけ、そしてこれを形にできるのは斎藤宏介と鈴木貴雄だけ、というポップソングであり、バンドにとって“渾身の1曲”だったことは想像に難くないだろう。彼らが言うに、ロックバンドは、正しくない。正しくないという自己認識はともすれば生きづらさと結びついてしまうもので、田淵の言うように、バンドを諦めていい理由に突きあたる夜もあったはずだ。それでも彼らは腐らずに、自分たちの信じる音楽を鳴らし続けた。このバンドの明るく楽しくスリリングなアンサンブルは、私たちリスナーの人生に彩りをもたらした。そして今、正しくないのがいいんだという人たちが、この世界に一定数、例えば武道館に収まりきらないくらいには存在していたことが、メンバーの支えになっていたのだと明かされた。その上で奏でられる「春が来てぼくら」、しかも斎藤の弾き語りから始まる特別アレンジである。めくるめく転調は、山あり谷ありの人生の表象。険しい道のりにひるむどころか、どこまでも軽やかな3人の演奏に、風に踊る花びらのイメージが浮かぶ。晴れ晴れとしたバンドサウンドで以って、彼らは20年の活動に自ら花マルをつけた。とても大きな意味のある場面だった。
「春が来てぼくら」演奏後、3人はしばらく何も言わずに客席を眺め、喜びを噛み締めている様子だった。やがて鈴木が右手を上げたのを合図に演奏再開。2015年7月24日を思い出させるバンドのセッション、そして斎藤のタイトルコールから始まった「シャンデリア・ワルツ」は20年で一番の輝きだ。この日最後に鳴らされたのは、メジャーデビュー曲の「センチメンタルピリオド」。バンドのサウンドが勢いよく炸裂するなか、客席の照明もついて大団円だ。センターに出てきて、気持ちよさそうにソロを弾く斎藤。一音入魂、その場で立ち上がり締めの音を鳴らす鈴木。5年ぶりn回目のハンドスプリングをキメる田淵。彼らを包む拍手と歓声。ヘッドフォンで耳を塞ぎ「世界の音も聞こえません」と嘯いていた少年は、あの頃の自分を裏切らないまま、こんなにもたくさんの人に愛されるロックバンドになった。
アンコールはなし。最後の音を鳴らし終えると、田淵はご機嫌な足取りで、鈴木はジャケット背面の20thロゴをアピールしてからステージを去った。一人残った斎藤は、「3人だけでは続けてこられませんでした。ライブやCDを待ってくれてるやつ、解散したら悲しむやつ、そういう一つひとつによって続いてきたUNISON SQUARE GARDENが、今これだけ愛されるロックバンドになってます。こう見えてめちゃくちゃ励まされながら、支えられながら進んできました」と、さらに「だから、3人の記念日ではあるんだけど、僕は、UNISON SQUARE GARDENを好きで好きでたまらないやつに喜んでほしい」と会場や配信で観ていたファンに伝える。そして最後には「本日はUNISON SQUARE GARDEN 20周年記念日、おめでとうございます! 楽しかったです」と叫び、観客と拍手を送り合った。こうして武道館DAY1は終演。間違いなく伝説のライブだったという余韻とともに、DAY2、DAY3という未知の領域へ突入する。